ジョン・レノンゆかりの地をめぐる軽井沢の旅

ジョン・レノンは1977年から1979年まで毎年夏に軽井沢に訪れていました。そんなジョン・レノンの足跡を追いながら軽井沢をまわってみたいと思っていました。遅ればせながら今年2016年5月に軽井沢に行くことができました。

2021年公開映画「Get Back」の特別映像を観ての感想


パソコンの前に座ると他の作業があったのも忘れて、何度も何度も繰り返しリピートして見てしまうこの映像。時間の許す限り観てしまう。
ちょっと観るのをやめて、今のこのグワッ~と心に吹き荒れる嵐のような感情を文章に残しておきたい。


初めて見る映像。久しぶりにジョンに会った気がする。ジョージに会った気がする。
久しぶりに会ったのに飛び跳ねていてずいぶん元気そうって思ってしまう。


1969年1月。ジョン28歳。リンゴ28歳。ポール26歳。ジョージ25歳。改めて年齢を確認するとビートルズっていつも若い。


なんて生き生きしているんだ。


今、ロンドンに行ったら、ビートルズに会えそうな気さえしてくる。
1969年に戻れる気がしてくる。


映画「LET IT BE」が日本で公開された1970年は私は小5でまだビートルズを知らなかった。


不二家のチョコレートのCMでビートルズの「レット・イット・ビー」の映像が流れていたことを記憶している程度。(間違った記憶かもしれない)



私は中学生の頃、福岡市の中州の映画館に父に頼んでビートルズの映画「Let It Be」を観に連れて行ってもらった。


満員で立ち見だった。ぎゅうぎゅうで痴漢にあった嫌な記憶さえある。
でもビートルズに釘付けで痴漢にあっていることに気がつかなかった。12歳の私は幼すぎた。


その後も、高校の時にテレビで映画「Let It Be」が昼間にあった時、学校が休みの日で部活だけはあって、今のように録画すればテレビが観れるという時代ではなくて、その時テレビの前にいなければアウトの時代、私は大好きな部活を初めてサボった。


翌日、部長に聞くと、誰も来なかったって。みんなビートルズの映画「LET IT BE」を観ていた。吹奏楽部だけあって音楽好きの集まりだから仕方なかった。



そんな映画「LET IT BE」はポールの弾く物悲しげなピアノから始まる。綺麗な旋律なんだけど、悲しすぎてやられる。


YaHoo知恵袋によると、
ポールが弾いてるのは Adagio for Strings という曲で、和名は「弦楽のためのアダージョ Op.11」というらしい。サミュエル・バーバーが作曲した、弦楽合奏のための楽曲で、作曲者の名前をとってバーバーのアダージョ(ないしバーバーのアダージオ)とも呼ばれてるらしい。この曲が有名になったのはジョン・F・ケネディの葬儀で使用されたためである。とある。


「 I've Got a Feeling」のシーンでポールからそうじゃなくてこんな感じで弾いてって、何度もやり直しさせれるジョージを見ていると辛くなる。



ポールとジョージ


 私はビートルズが解散してから観たから、全部のシーンが暗く感じられたように思う。


それに比べると、2021年公開の「Get Back」は明るい。ビートルズが解散に向かっているかもしれないけど、前向きに考えられそうな映像だ。


えっ~~~~!!!!
もっと早く観たかったよ~~~!!!


私の今の感情を表す言葉が以上となる。私の表現力の乏しさには毎回あきれる。


2021年、コロナウイルスの脅威のことは心配ではあるが、
映画館に毎日通ってしまいそうで今から心配している。
ただシニア料金で観れるので良かった。




The Beatles: Get Back - A Sneak Peek from Peter Jackson
ザ・ビートルズのドキュメンタリー映画『The Beatles: Get Back』が、2021年8月27日(金)に世界同時公開されることが決定した。あわせて、同作の邦題が『ザ・ビートルズ:Get Back』となることも発表されている。


ピーター・ジャクソンが監督を務める『The Beatles: Get Back』は、ロンドンでの42分間の“ルーフトップ・コンサート”を含む60時間の未発表映像と150時間の未発表音源を基にしたドキュメンタリー。ジャクソン監督はこの作品について、「タイムマシーンに乗って1969年に戻り、スタジオで4人が素晴らしい音楽を作っている現場に居合わせられるような体験だ」と語っている。

1980年12月5日から8日まで幸せ気分だったこと

 


今朝5時頃起きてすぐ、突然、1980年12月5日から8日までの気持ちを鮮明に思い出して、曲を作って歌いたくなり、あっという間に作って、9時にはYouTubeにUPしていました。
 1980年12月10日に私はジョンの死を知りました。


そのショックが強すぎて、忘れてしまっていた、心待ちにしていた12月5日発売のジョンのアルバム「ダブル・ファンタジー」をレコード店に買いに行った時の気持ち、レコードを手にして電車に乗っている時の気持ち、家に帰って自分の部屋でレコードを出して、レコード針を落とした時の気持ち、そんな1980年12月のことがなぜか鮮やかに映像だけじゃなくて、気持ちまで思い出してしまって、興奮してしまいました。


 ジョンが音楽活動を休止してから、本当にさびしかったので、1980年のジョンに関するニュースがどんなに嬉しかったかしれません。


 「ダブル・ファンタジー」のアルバムを聴くことがどんなに幸せ気分だったことか。
ヨーコさんの曲と交互に入っていたのには正直困ってしまって、ジョンの曲だけをカセットテープに入れて聴いていました。
当時は電車の中でウォークマンで音楽を聴いていたので仕事の休憩時間、行き帰りの電車の中で聴いていました。


ここにも今日の記録として残しておきます。

「1980年12月5日から8日まで幸せだったんだよ 」オリジナル曲ギター弾き語り

リンゴ・スター 福岡公演 行ってきました。


この写真は私の娘が「想い出のフォトグラフ」のイントロを聞いてスマホを構えたらリンゴが指さしてくれた~!という写真です。


とりあえず、2019年3月27日福岡のリンゴ・スターの記憶を書いておこう。


福岡サンパレスから博多駅まで息子と娘と三人で歩きながら、私の頭の中は1980年代前半のディスコミュージックが流れ、中州にあったディスコ「カルチェラタン」を思い出していた。


リンゴのツアーメンバーが奏でる音楽にはそんなあの頃のサウンドがあった。70年代80年代私はラジオを常に聞いている引きこもりだったから、TOTOもサンタナもディスコミュージックも自然に耳に入っていたから、コンサートで演奏された曲のほとんどが聞いたことのある曲だった。


ツアーメンバーはTOTOやサンタナの方々と思って何にも予習していなかった。
かっこいいギターのおじさんがいた。光っていた。ベースも弾いていた。
とにかく楽しそうだった。60代?70代?なのか。
このかっこいおじさんはHamish Stuart 。ポール・マッカートニーのアルバムに参加したり1990年代のコンサートのメンバーだった。
えっ?あの人? あぁ~あの人とこの人は同一人物だったのね。。。



音楽をお客さんに楽しんでもらおうと思う前に自分たちが楽しんでいる感じだった。
楽しいからかエンディングが長すぎる。いつまでたっても終わらない。ジャズみたいだった。
終わるときはドラムのGregg Bissotteがドラムのスティックを高く上げる。これもかっこよかった。これを合図に曲が終わっていった。
そんなメンバーの中にリンゴ・スターが気楽な感じでいる。
ステージとお客さんの距離が近いアットホームな感じ。
コンサートホールじゃなくてライブバーみたいなところにいる感じさえある。
前15列くらいは「ヘイ・ジュード」の時みたいに明るい。照明が自分の顔を照らしてくる。
面白い服を着ていたら、リンゴに突っ込まれる。
面白いこと言ったら、リンゴが返事してくれる。
リンゴは英語を話しているけど、簡単な英語だから、聞き取れて、笑える。
78歳のリンゴは自然体で独特なステップを踏みながら歌い、時にドラムも叩き、時にステージ奥に引っ込む。
元気そうで良かった。


2019年3月27日福岡はポカポカ春の陽気でこの日に一気に桜の蕾が膨らんだ。
きっとリンゴ・スターも桜を楽しんだことだろう。
そんな2019年の3月の終わりはリンゴとともに平和な時を過ごした。