軽井沢から帰ってきて思うこと
1977年、夏休みのお盆過ぎだったと思います。
突然の訃報が飛び込んできました。
私は17歳でまだ身近な人の死に接していなかったので、ショックでした。
エルビス・プレスリーが亡くなったのです。
そんな17歳の夏、私の大好きなジョン・レノンは日本の軽井沢にいたのです。
あのエルビスの死を知った夏休みのあの日に軽井沢に行ったらジョンに会えていたんです。
今でもそのエルビスの死を知ったあの日のことを覚えているので、すぐにあの日に戻ることができます。
想像の中であの日に戻り、今回軽井沢に行ったことで想像の中で軽井沢に行って、1977年の軽井沢のジョンに会えることができるような気がします。
そのエルビスの訃報をジョンは軽井沢で知って、どれほどショックを受けたことでしょう。
そしてそんなジョンを軽井沢はきっと癒してくれたことでしょう。
直接ジョンに会い、ロイヤルミルクティーをジョンのレシピどおりに作って出したという万平ホテルの小澤さんのお話しぶりで小澤さんがジョンに対してどう接していたかがわかったような気がしました。
そして軽井沢の避暑地としての土地柄のようなものも。
各界の著名人の別荘があり、そんな方々の休日をもてなす、特別でない何気ない感じで接して癒しを与えること、それが自然にできる軽井沢。
みなさん優しくて穏やかな感じ。女性の方はみなさん可憐でホッとする感じが素敵でした。
西丸文也さんの写真集「ジョン・レノン家族生活」をいつもそばにおいて、よく見ていました。
この写真のジョンが大好きでした。
いつかこの同じ場所に行ってジョンが見た風景を見たいと思っていました。
今回こんなにも完璧にジョンの足跡を追うことができ、写真を撮ることができたのも、軽井沢に行こうと誘ってくれた娘のおかげです。
母として守るべき娘がいつの間にか逆転して守られ始めていることを知りました。
万平ホテルに泊まることができたのも、万平ホテルの小澤さんの存在を知り、バーに行くことができたのも娘のおかげでした。
博多駅で「じゃ~ね。ありがとうね~。」って言った時泣きそうになりました。
本当に感謝しています。
この軽井沢の旅は一生忘れないでしょう。
それから、私の平日の旅行を快く許してくれて、仕事帰りにJRを二日続けて乗り過ごしサウナ泊まりをしてしまった私の夫にも感謝します。