ジョン・レノンゆかりの地をめぐる軽井沢の旅

ジョン・レノンは1977年から1979年まで毎年夏に軽井沢に訪れていました。そんなジョン・レノンの足跡を追いながら軽井沢をまわってみたいと思っていました。遅ればせながら今年2016年5月に軽井沢に行くことができました。

ジョン・レノンが1970年代後半に日本に滞在していた正確な期間

先日、軽井沢に行って、ジョンが好きだったモカソフトがある「ミカドコーヒー」に行った際に、店内にミカドコーヒーの歴史年表があり、そこには


1976年から80年まで毎年のように軽井沢に訪れて・・・


と書いてあるのですが、この1976年という欄に堂々と書いてあるのが、どうしても気になり正確な期間を調べてみました。


私の家のジョンの本をいろいろ見ていたらありました。


これに詳しく載っていました。


1976年は行っていません。


1977年5月11日から10月7日まで約5か月間滞在

東京・軽井沢・北海道・京都で。


1978年6月5日から9月16日まで約3か月間滞在

東京のホテル・オークラを中心に。


1979年7月28日から8月29日まで約1か月間滞在

軽井沢で。


この3年間です。

5か月+3か月+1か月=約9か月も日本に滞在していたんですね。


1980年の夏は、8月4日から9月24日までレコーディング。

レコーディング前に5月23日~29日まで南アフリカのケープタウンに一人旅。

6月11日ショーンとヨットでバミューダへ旅に出る。


となっていますよ。ミカドコーヒーさん。









軽井沢から帰ってきて思うこと

1977年、夏休みのお盆過ぎだったと思います。

突然の訃報が飛び込んできました。


私は17歳でまだ身近な人の死に接していなかったので、ショックでした。


エルビス・プレスリーが亡くなったのです。


そんな17歳の夏、私の大好きなジョン・レノンは日本の軽井沢にいたのです。


あのエルビスの死を知った夏休みのあの日に軽井沢に行ったらジョンに会えていたんです。


今でもそのエルビスの死を知ったあの日のことを覚えているので、すぐにあの日に戻ることができます。


想像の中であの日に戻り、今回軽井沢に行ったことで想像の中で軽井沢に行って、1977年の軽井沢のジョンに会えることができるような気がします。


そのエルビスの訃報をジョンは軽井沢で知って、どれほどショックを受けたことでしょう。


そしてそんなジョンを軽井沢はきっと癒してくれたことでしょう。



直接ジョンに会い、ロイヤルミルクティーをジョンのレシピどおりに作って出したという万平ホテルの小澤さんのお話しぶりで小澤さんがジョンに対してどう接していたかがわかったような気がしました。

そして軽井沢の避暑地としての土地柄のようなものも。

各界の著名人の別荘があり、そんな方々の休日をもてなす、特別でない何気ない感じで接して癒しを与えること、それが自然にできる軽井沢。


みなさん優しくて穏やかな感じ。女性の方はみなさん可憐でホッとする感じが素敵でした。



西丸文也さんの写真集「ジョン・レノン家族生活」をいつもそばにおいて、よく見ていました。

この写真のジョンが大好きでした。

いつかこの同じ場所に行ってジョンが見た風景を見たいと思っていました。


今回こんなにも完璧にジョンの足跡を追うことができ、写真を撮ることができたのも、軽井沢に行こうと誘ってくれた娘のおかげです。


母として守るべき娘がいつの間にか逆転して守られ始めていることを知りました。


万平ホテルに泊まることができたのも、万平ホテルの小澤さんの存在を知り、バーに行くことができたのも娘のおかげでした。


博多駅で「じゃ~ね。ありがとうね~。」って言った時泣きそうになりました。


本当に感謝しています。

この軽井沢の旅は一生忘れないでしょう。


それから、私の平日の旅行を快く許してくれて、仕事帰りにJRを二日続けて乗り過ごしサウナ泊まりをしてしまった私の夫にも感謝します。

ジョンと同じ場所で同じポーズで写真を撮りたい

万平ホテル玄関



鬼押出し園


鬼押出し園

見晴台

見晴台

見晴台

見晴台


見晴台(熊野皇大神社)

見晴台(熊野皇大神社)


見晴台(見晴亭)



一枚だけ、ポール。

1966年のポール・マッカートニーと2016年の娘

皇居(皇居正門前)