今朝5時頃起きてすぐ、突然、1980年12月5日から8日までの気持ちを鮮明に思い出して、曲を作って歌いたくなり、あっという間に作って、9時にはYouTubeにUPしていました。 1980年12月10日に私はジョンの死を知りました。 そのショックが強すぎて、忘れてしまっていた、心待ちにしていた... 続きをみる
ジョン・レノンのブログ記事
ジョン・レノン(ムラゴンブログ全体)-
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オノ・ヨーコさんがすごいなって思う時がある。 私はきわめて凡人であり、The 庶民であるから、ヨーコさんの芸術的なことは全く理解できないし、ヨーコさんの音楽もまともに聞けない。 ジョン・レノンが好きなのにヨーコさんの芸術性を理解できないなんてジョンファンとして失格である。 しかし、ヨーコさんがいる... 続きをみる
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1980年12月9日午後に日本にジョン・レノンの訃報が届きました。私は仕事中で9日は忘年会があり、深夜に帰宅しテレビもラジオも聞かないまま就寝、翌日10日早朝に新聞もテレビも見ずに出勤、(この時両親は知っていたはずなのですがジョン大好きの私に伝えることができなかったのでしょう)そして職場で先輩の一... 続きをみる
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今日、ふと思い出した。 確か1972年にこのシングルレコードを買ってから、毎年クリスマス時期に一人でこのレコード聴いていたなって。 それでいつかこの曲がクリスマスソングの定番みたいになったらいいなって思っていたんだって。 ヘッドホンで聴くと、最初のささやく声が聞こえるからヘッドホンで聴いた。 「ハ... 続きをみる
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ニューヨーク旅行記ーグリニッジ・ヴィレッジ 2017.6.15.
ニューヨークに行ったら、グリニッジ・ビレッジにも絶対行きたいと思っていました。 ジョン・レノンがボブ・ディランのレコードジャケット「The Freewheelin」の写真を見てニューヨークに行きたいと思ったらしいのですが、そのレコードジャケットの場所がグリニッジ・ビレッジです。 ボブ・ディランが住... 続きをみる
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ニューヨーク旅行記ーセントラルパーク(イマジン記念碑) 2017.6.14.
ダコタハウス周辺で写真を撮った後、ダコタハウス前のセントラルパーク入口から少し入った所に「ストロベリー・フィールド」イマジン記念碑があります。 記念碑を取り囲むようにベンチがあり、そこに坐って次から次に止めどなくそこを通る人が写真を撮っていく様子をずっと見ていました。 街中のむっとする暑さが嘘のよ... 続きをみる
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2017年6月11日から18日、6泊8日でニューヨークに行ってきました。 夫の退職の機会を利用して、再就職までの20日間の休暇を利用して、夫と二人ニューヨーク旅でした。 ニューヨーク旅行定番の自由の女神、エンパイア・ステートビル、トップ・オブ・ザ・ロック、メトロポリタン美術館、5番街、などの他にも... 続きをみる
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John Lennon in Central Park NYC in 1974 もし、ジョンが生きていたら、10月9日で76歳。 今日もニューヨークのセントラルパークで大勢集まってビートルズやジョンの曲をうたうんだろなぁ~。 下動画は昨年のセントラルパークの様子です。 Fans celebrat... 続きをみる
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『ノーウェアボーイ ひとりぼっちのあいつ』(Nowhere Boy)は2009年公開のイギリス映画でビートルズ結成前の若きジョン・レノンを描いた伝記映画である。 ビートルズに関する多くの映画のうちでは好きな映画の一つで、リバプールの美しい街並み、ミミおばさんの雰囲気、実母ジュリアの感じ、実母ジュリ... 続きをみる
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何度観たかしれない、大好きな動画。 1975年グラミー賞授賞式でプレゼンターを務めるジョン・レノン。 こんな役は苦手なんじゃないかな・・と思うんだけど、ポール・サイモンもアンディ・ウイリアムスもそして会場全体もジョン・レノン・ワールドの空気に包まれる。 英語はよくわからないんだけど、 なんだか、ジ... 続きをみる
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1980年夏頃から私はウキウキしていました。 12月に発売されるジョン・レノンの5年ぶりの新しいアルバムが楽しみだったのです。 本屋さんにはジョンの表紙の本さえ並んでいました。(この本です) 5年間、ジョンが活動休止していた間、私はとても寂しかったので、このアルバムの発売は本当に嬉しくて、それに来... 続きをみる
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1973年秋から75年にかけてメイ・パンさんが撮影した写真集。 ジョンとヨーコさんとメイ・パンさんの不思議な関係はアフリカの一夫多妻制に匹敵する理解不可能な関係で、私のような凡人には一生かけても理解できないだろう。 (ジョンとヨーコさんについては理解不可能なことが多いのであんまり考えないことにして... 続きをみる
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ジョンの子供の頃から亡くなるまでの手紙やメモを載せている本。 385ページにわたりジョンの手紙が載せられている。 これは絶対ジョンは天国で怒っているはず。 誰だって自分の手紙を読まれたくない。 よくこんなに手紙が残っているはずだと驚いてしまう。 買った私も悪いけど・・・ ほとんど読んでいない。 人... 続きをみる
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私が持っているジョンの本の中で一番好きなのは、 やっぱり今回軽井沢に行くきっかけとなったこの 「家族生活」の写真集です。 この写真集に収められている写真は本来公開されることを目的としないで撮影されたものでした。 プライベートだから見せるリラックスした表情が素敵です。 ジョンが亡くなった後、ジョンの... 続きをみる
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ジョン・レノン関係書籍、たくさんありますが好きなものだけ紹介してみようかなと思います。 「ジョン・レノンが見た日本」 これは、ジョンが日本語を勉強したノートです。 ジョンですから絵も書いています。 その絵がかわいいのです。 くらべる かめは うさぎに くらべて おそい です うさぎは かめに くら... 続きをみる
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帰ってきてから、離山房についていろいろ調べています。 元オーナー(槙野あさ子さん)さんのご主人が朝日新聞のカメラマンで、 ご主人の後輩がニューヨーク支局にいた時にヨーコさんに 先輩が軽井沢にお店を出したので寄ってください。と言ったことがあり、 それを覚えていたヨーコさんがお店に来られたとのこと。 ... 続きをみる
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ジョン・レノンが1970年代後半に日本に滞在していた正確な期間
先日、軽井沢に行って、ジョンが好きだったモカソフトがある「ミカドコーヒー」に行った際に、店内にミカドコーヒーの歴史年表があり、そこには 1976年から80年まで毎年のように軽井沢に訪れて・・・ と書いてあるのですが、この1976年という欄に堂々と書いてあるのが、どうしても気になり正確な期間を調べて... 続きをみる
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1977年、夏休みのお盆過ぎだったと思います。 突然の訃報が飛び込んできました。 私は17歳でまだ身近な人の死に接していなかったので、ショックでした。 エルビス・プレスリーが亡くなったのです。 そんな17歳の夏、私の大好きなジョン・レノンは日本の軽井沢にいたのです。 あのエルビスの死を知った夏休み... 続きをみる
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万平ホテル玄関 鬼押出し園 鬼押出し園 見晴台 見晴台 見晴台 見晴台 見晴台(熊野皇大神社) 見晴台(熊野皇大神社) 見晴台(見晴亭) 一枚だけ、ポール。 1966年のポール・マッカートニーと2016年の娘 皇居(皇居正門前)
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鬼押出し園 3日目は「鬼押出し園」もうこれだけを目標にしました。 「白糸の滝」と「軽井沢タリアセン(塩沢湖)」はもういいかな~と。 鬼押出し園へは西武高原バスで行くことにしましたが一日5本くらいしかなくて。 もし行かれるなら、レンタカーをおすすめします。 そう、万平ホテルの小澤さんも言ってた。 レ... 続きをみる
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見晴台 万平ホテルをチェックアウトしてから、万平ホテル前から出ている見晴台行のかわいいバスに乗って見晴台に向かいました。 バスは旧中山道を通って少しずつ上り坂を走っていきました。 見晴台までの道は林の中を通っていくのですが別荘地でもあり白樺の木もありおしゃれな雰囲気でした。 中山道最大の難所として... 続きをみる
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本館アルプス館128号室 案内されて128号室に入りしばらくはウキウキワクワクと写真を撮ったり動画を撮ったりしましたが、ジョンとヨーコさんのお部屋だったとしても私たちの荷物を置いてソファでごろんと横になったり、ベッドで横になっているとお家にいるみたいになっていきました。 それほどに華美な部分の全く... 続きをみる
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1日目(2016.5.18.)フランスベーカリー、ミカドコーヒー
万平ホテルまで 5月18日朝6時半頃、福岡の家を出て、福岡空港(飛行機)~羽田空港(モノレール)~浜松町(JR)~東京(新幹線)~軽井沢 乗り換えのタイムロスもほとんどなくスムーズに軽井沢に13時頃到着することができました。 タクシーに乗り、「万平ホテルまで」と言うと、あっという間に夢にまで見た万... 続きをみる
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2016年4月8日、夜7時頃、万平ホテルに予約の電話をしました。 娘と軽井沢にジョン・レノンゆかりの地めぐりの旅をするための宿泊先候補には、当然ジョンが常宿にしていた万平ホテルがあがるのは当然なことですが、身の丈に合わない宿で緊張しっぱなしでゆっくり休むこともできないのではないか、ドレスコードがあ... 続きをみる