ネット上のジョン・レノンの嘘の写真や音源、そして・・
1980年12月9日午後に日本にジョン・レノンの訃報が届きました。私は仕事中で9日は忘年会があり、深夜に帰宅しテレビもラジオも聞かないまま就寝、翌日10日早朝に新聞もテレビも見ずに出勤、(この時両親は知っていたはずなのですがジョン大好きの私に伝えることができなかったのでしょう)そして職場で先輩の一言でジョンが撃たれたことを知ることになりました。
私がジョンの死を知った12月10日は私の中でのジョンの命日となりました。
8日が現地時間での命日、9日が日本時間での命日、10日は私一人の命日です。ジョンのことを想う三日間となりました。
昨日12月8日はSNSにはジョン・レノン命日に関する投稿であふれていました。facebook、Twitter、Instagramで。
見なければいいのですがつい見てしまいスルーできずに・・・
そして心が痛くなり辛くなり、facebookのビートルズの4000人もの会員がいるグループを脱会しました。
そこには12月8日の真珠湾攻撃の日(日本時間)とジョン・レノンの命日(現地時間)を勝手に関連付けて語る人、ジョンの死は運命でジョンもわかっていたという人、私はそんな一言一言に傷つけられていきました。
そしてジョン・レノンのたくさんの写真を合体して作られた画像にはジョンではないよく似たギターを手にした他人の子供の写真が混じっていました。一目で違うとわかるのですがこの写真はジョンだと出回り過ぎていて信じている人も多いのです。
その他写真を自分で上手に合成して、こんなの見つけました!って載せる人もして、なぜか信じる人も多くいるのです。
youtubeにはレア音源として、1970年代後半にジョン・レノンとポール・マッカートニーが一緒に歌っているものが(他人が似せて歌ったもの)あり、コメント欄にはお礼をいう言葉が並び、うんざり。
1980年ジョンは毎年行っていた軽井沢へは行かずに、南アフリカに1人で旅行に行ったり、バミューダにショーンと行ったりしています。そしてレコーディング。
ジョンは主夫生活をやめて、1980年に久しぶりにアルバムを発売して、1981年から人生の後半をスタートしてやる気満々だったのです。
突然、他人から無理矢理に命を奪われたのです。
運命なんかじゃないのです。
病気でもないのです。
交通事故でもないのです。
自然災害でもないのです。
他人から殺害されたのです。
今、私がこうやってパソコンを打っている時に誰かが突然部屋に入ってきて撃たれて今私が死ぬようなものです。
Imagine 想像してください。ジョン・レノンの死がどんなに悲惨な死であったかを。
Watching The Wheels - John Lennon