ジョン・レノンゆかりの地をめぐる軽井沢の旅

ジョン・レノンは1977年から1979年まで毎年夏に軽井沢に訪れていました。そんなジョン・レノンの足跡を追いながら軽井沢をまわってみたいと思っていました。遅ればせながら今年2016年5月に軽井沢に行くことができました。

日本に来てくれる76歳のポールに会いに行くんだ!


「Maybe I'm amazed」が歌えてないことがちょっとさびしくなっても


そう、久しぶりに実家に帰省した時に両親の背中が小さく見える時、さびしくなるみたいに


でも、ポールが日本に来て、一緒に楽しもうよって言ってくれるんだから、会いに行かなくちゃって思う。


ナゴヤドームのチケットを買った。格安航空券(福岡⇔名古屋往復)14800円とカプセルホテル3000円も予約した。


とにかく行く。泊まれればどこででもいい。とにかくポールに会いに行く。


ポールの声が衰えているのがわかってちょっとさびしくなって、ちょっと悲しくなるのはわかっているけど、


一緒に楽しい時間を過ごす。一緒に歌う。今までたくさんの音楽を作ってくれて歌ってくれてありがとうって言いたいから行く。


1962年にデビューしてから今2018年なのに新曲出してるポールに会いに行く。


私の父は亡くなる1ヶ月前まで社交ダンスの大会に出ていた。そんな元気だった父は80歳で突然亡くなった。


ポールは76歳。私が11歳の時に「Another Day」を聞いて、初めてポール・マッカートニーって覚えた。そんな私が孫がいるおばあちゃんになってもポールは歌っている。


私を11歳から今までずっと楽しませてくれたポールが日本に来てくれる。


普段はビートルズもポールも聴かないし普通のおばさん生活しているのに、ポールが日本に来るって知った日からポール・マッカートニー落とし穴に落ちて溺れてしまう。


Maybe I’m amazed
at the way you pulled me out of time
Hung me on a line
Maybe I’m amazed
at the way I really need you

ポール・マッカートニーが日本武道館でAnother Girlを歌うの観たかったんだよね


そろそろポールが日本に来るよねと思っていたけど、今年の秋とは思ってなかった。


そして、いつものように私の心はざわつき、お金の価値について真剣に考える毎日を過ごすこととなる。


スーパーで必ず買う物の一つである、万能ねぎを買えないこの頃である。


一束100円の万能ねぎが298円となったことで買えなくなる。情けない。この頃のお味噌汁には玉ねぎを必ず入れるようになった。


一束298円の万能ねぎが買えない私がポール・マッカートニーのチケットを迷う。チケット+飛行機代+宿泊費=約10万円を迷う。


さらに追加公演するであろう、日本武道館のチケット10万円を今回は迷っている。


私のお金の価値観の基準である何かがガラガラと崩れていく。


過去2回、11月にポールが日本に来る時はポールは大相撲九州場所を観ている。


今回は11月上旬だし、相撲って下旬だから相撲は関係ないか。。。と思って2018 九州場所で検索したら、今年は11日開幕だと。。。ドキドキ・・ドキドキ・・・


えっ・・福岡公演が追加になるかもしれない・・・ドキドキ・・ドキドキ・・


そうだ。福岡公演が追加になるのを待とう。
福岡公演が追加になったら、チケットを迷わず買おう。と決めた。


前回の武道館でポールが初めて「another girl」を歌ったって知った時、ああ~私もそこにいたいと思った。


誰にもわからないだろう。
「another girl」を日本武道館で歌うポールを観ることがどんなに興奮することなのか説明できない。


その背景には中学生の私が「HELP」のアルバムを青いリンゴがくるくる回るレコードをじっと見つめて静かに「another girl」を聴く私がいる。


小学生の私がテレビで映画「HELP 四人はアイドル」を見ている私がいる。


たくさんのビートルズの曲の中で目立たない曲だけど、私の中ではキラキラ輝いている。


ずっーと前ビートルズに夢中になり始めた頃の熱い想いとともに「another girl」は静かにひっそりと私の中にいて、


それなのに、日本武道館でそんな私のひっそりと静かに隠していた曲をポールがいきなり歌うのだ。


いつも一人静かにレコードを聴いていた中学生の私が踊り狂って一緒に歌うのが見えてくる。


私も前回の武道館でたくさんの人と一緒にこの感動を共有したかった。


それは10万円払ってもいい金額なんだ。上手に説明できないけど。

Paul McCartney「Another Girl 」 28th April 2015 Nippon Budokan ポール マッカートニー武道館アナザーガール


2013年11月、私は家族4人で福岡ヤフオクドームのポールのコンサートに行った。


前日には九州場所を観るポールを同じ会場で見ていた。


その時の様子を書いたものが2014年1月号のビートルズ・クラブの会報誌に載った。


ここに記録として残しておこうと思う。


ネット上のジョン・レノンの嘘の写真や音源、そして・・

1980年12月9日午後に日本にジョン・レノンの訃報が届きました。私は仕事中で9日は忘年会があり、深夜に帰宅しテレビもラジオも聞かないまま就寝、翌日10日早朝に新聞もテレビも見ずに出勤、(この時両親は知っていたはずなのですがジョン大好きの私に伝えることができなかったのでしょう)そして職場で先輩の一言でジョンが撃たれたことを知ることになりました。


私がジョンの死を知った12月10日は私の中でのジョンの命日となりました。
8日が現地時間での命日、9日が日本時間での命日、10日は私一人の命日です。ジョンのことを想う三日間となりました。
昨日12月8日はSNSにはジョン・レノン命日に関する投稿であふれていました。facebook、Twitter、Instagramで。


見なければいいのですがつい見てしまいスルーできずに・・・


そして心が痛くなり辛くなり、facebookのビートルズの4000人もの会員がいるグループを脱会しました。


そこには12月8日の真珠湾攻撃の日(日本時間)とジョン・レノンの命日(現地時間)を勝手に関連付けて語る人、ジョンの死は運命でジョンもわかっていたという人、私はそんな一言一言に傷つけられていきました。


そしてジョン・レノンのたくさんの写真を合体して作られた画像にはジョンではないよく似たギターを手にした他人の子供の写真が混じっていました。一目で違うとわかるのですがこの写真はジョンだと出回り過ぎていて信じている人も多いのです。


その他写真を自分で上手に合成して、こんなの見つけました!って載せる人もして、なぜか信じる人も多くいるのです。


youtubeにはレア音源として、1970年代後半にジョン・レノンとポール・マッカートニーが一緒に歌っているものが(他人が似せて歌ったもの)あり、コメント欄にはお礼をいう言葉が並び、うんざり。


1980年ジョンは毎年行っていた軽井沢へは行かずに、南アフリカに1人で旅行に行ったり、バミューダにショーンと行ったりしています。そしてレコーディング。


ジョンは主夫生活をやめて、1980年に久しぶりにアルバムを発売して、1981年から人生の後半をスタートしてやる気満々だったのです。



突然、他人から無理矢理に命を奪われたのです。


運命なんかじゃないのです。


病気でもないのです。


交通事故でもないのです。


自然災害でもないのです。


他人から殺害されたのです。


今、私がこうやってパソコンを打っている時に誰かが突然部屋に入ってきて撃たれて今私が死ぬようなものです。


Imagine 想像してください。ジョン・レノンの死がどんなに悲惨な死であったかを。

Watching The Wheels - John Lennon