ジョン・レノンゆかりの地をめぐる軽井沢の旅

ジョン・レノンは1977年から1979年まで毎年夏に軽井沢に訪れていました。そんなジョン・レノンの足跡を追いながら軽井沢をまわってみたいと思っていました。遅ればせながら今年2016年5月に軽井沢に行くことができました。

Freshen Up Japan Tour 2018.11.8.ナゴヤドームの私

注意:ポールのコンサートの写真も動画もありません。ただの長文です(笑)


今まで幸運にもアリーナ席で観ることができていました。
今回はスタンド席。


Let It Beで満点の星の一つとなり、ポールからBeautifulと言われる小さな星の一個にもなれず(スマホを操作できなかった。もたついてLet It Beの前半見れず(泣))

でも、ナゴヤドームの箱の中にいれたこと、とっても幸せでした!!!!

私に話しかけてくれた人、やさしい言葉をくれた人、ありがとうございました!


11月8日、1人で名古屋に行ってきました。
7時過ぎの博多行きのJRに乗り、地下鉄で福岡空港へ。
10時発の飛行機で名古屋へ11時過ぎに到着。
同じ飛行機にはTHE BEATLESのロゴが入ったトートバックを持った人、前々回のポールのツアーOUT THERE TOUR のパーカーを着た人などもいました。
私はヘルプのシャツに紺のブレザーにデニムにパンプスで行きました。


セントレア空港で昼食。これが今日最後の食事となることと覚悟して、みそかつ定食1100円をがっつり食べました。私の食べっぷりが良かったのか、お店の人からお味噌汁とご飯おかわりできますよ。と言われました。(そんなに食べれません)


セントレア空港からリムジンバスでホテル近くまで行き、チェックイン前なので荷物を預かってもらって、いざナゴヤドームへ!


近くの地下鉄の伏見駅まで歩き、栄駅で乗り換えてドームへ。


ドームへ近づくだけでドキドキ、ドキドキ。
途中みんなが写真撮っていたので私も

めちゃめちゃ緊張してしてるし、遠すぎ。
自撮り棒でみんなの邪魔にならないように端っこで、まぁこんな私です。


ドームにはたくさんの人。みんなのお目当てはグッズを買うことと写真を撮ること。

私も今回行けなかった息子へのおみやげを買おうと最後尾・・最後尾・・と人の列を追って行って並んだのですが・・・


階段下の道路を見ると人がいっぱい。
ポールの入り待ちかぁ~
いいなぁ~
私もポール見たいなぁ~
一瞬でも近くでみたいなぁ~


そうだ!見よう!ポールに会おう!「ポール!」って叫ぼう!


というわけで、「息子よ、ゴメン」と心の中で何度もあやまりながら、列を離れて、階段を降りて、入り待ちしている人達の方向へ


しばらくして警備員さんが何やら言って、みんなが大移動始めて、
ここじゃないよって教えてくれるんだね~


みんなは走る走る走る・・・私は抜かれる抜かれる抜かれる・・・


パンプスで来たのが間違いだね~ デニムにスニーカーだとおばさんは作業服的になりそうで不安になるんだよね~
スタスタ歩いて、みんなの最後尾に(笑)


う~ん、信号が赤だったらここに止まるから交差点がいいかな。と交差点の方へ


何やら男性二人がスマホを見ながら話している。交差点のどの方向から来るのか予想しているのかな~?


その男性へ話しかけてみた。
「どの方向から来るかわかりますか~?」


「とにかくここは絶対通りますよ」


でもその後、警備員さんに交差点から離れてと言われた(泣)


そしてこの男性の方(40代)とポールが来るまで話す。1時間半くらい。


そして突然彼がスマホを見て、
「ポールがホテル出たみたいですよ。もうすぐです」


わぁ・・・ドキドキ、ドキドキ、


そして赤信号の先にポールの車「あれですよ」と彼


そして撮った動画がこれ

はぁ・・・一瞬だった。


ポールの車が通るとは思えない庶民的な車2台通れる程度の狭い道。
警備員さんが事故がないように必死で前に出ないで!乗り出さないで!と言うのもわかる。


「乗り出してポールの車で事故者が出たらポールさんが悲しみますよ」と警備員さん。
「ポールの車にひかれる、本望じゃねえか」と誰かが言いどっと笑いがもれる。
そんな雰囲気の中、ポールも一瞬だけど見れたし、楽しかったです。


それからドームへ戻ると、依然グッズを買う人のすごい列。
おじさんがアコギでビートルズを歌い、大勢の人が囲み手拍子しながら一緒に歌いながら楽しそうにしているのを見たり、


facebookの友達主催の集合写真に参加してみたり


ポールからサインもらったという人のサインを見せてもらったり


そして会場入り


私はスタンド席、11列目。でも端っこの方。

座席にはこんなものがあって

わぁ~!たのしみ~!


そしてだんだん開演時間に近づく・・・


ドキドキ、ドキドキ・・


アリーナ席で写真を撮っている人たちを見ながらじっと待つ、待つ、待つ・・・


そして会場が暗くなって、ドキドキのピーク!!!!!


始まってから終わるまで、写真1枚も撮りませんでした。
あとでネットでみんなが撮ったの見ようって思って、見るのに集中しようって思って。


聞きたいと思っていた
2日目に演奏した「Got to Get You Into My Life」が聞けて嬉しかったし


アンコールで「Birthday」が聞けて嬉しかった!
飛び跳ねて頭の上で手拍子して踊って・・・


ポールは元気だったし、ピアノに向かう時はぴょんぴょんかけながら向かっていたし、ポールのきっと一番大切なヘフナーのベースギターを会場に投げるふりをしてみたり、「Live and Let Dieの後、両耳を押さえて、耳聞えなくなったよーみたいなふりしたり、おちゃめなポールはいつものままだった。


トロンボーン、トランペット、テナーサックス、の三人、演奏途中の足並みそろえたステップも含めて楽しみにしていたのに私の席からは全く見えなかった。


「Something」のジョージの素敵な笑顔の写真のバックの映像も私の席からは何も見えなかった。


最後に「See you next time!」とポールが言って、赤と白の紙ふぶきは降ってこなかった。


「Live and Let Die」の炎は全然熱さを感じなかった。


「ヘイ・ジュード」のNaNaNa・・・の時眩しいライトも浴びなかった。


「レット・イット・ビー」でスマホの懐中電灯を点けれなくてもたもたして、ポールも見れず、満点の星の一つにもなれなかった・・・・


でもナゴヤドームの中にいれたこと、最高の時間だった!


ドームから出て、人混みの中地下鉄の駅に向かう時も人が多すぎて将棋倒しになったら怖いと思った。
電車は内臓が潰れるくらい満員だった。田舎に住んでるからこんなの経験したことないし、福岡だったら、この電車やめて次のに乗ろうってみんな思いそうなのに。
都会は違うねって思った。


ホテルに帰ってからipodでポールの曲をシャッフル再生させながら寝た。
でも朝まで眠れなかった。
ドキドキが止まらなかった。

5時くらいになって、そうだポールの泊まっていたホテル、ヒルトン名古屋に行ってみよう。


と調べたら、なんと驚きの私が泊まったホテルから100Mくらいの近い距離だった。


6時半頃行ってみた。

名古屋ヒルトンのポールが歩いた所を歩き、ポールが見た風景を見る。
それだけで嬉しかった。


ポールはコンサートが終わって夜のうちに自家用ジエットで帰ってしまって


そんなさびしい翌日の名古屋は雨だった。











ポール・マッカートニーとミソスープと日本公演


ポール・マッカートニーが今日本にいる。
東京にいて、昨日リハーサルして、今日初日。
体調も良さそう。
今日、どうかポールが体調崩さないで歌えますようにとみんな心の片隅で思っていることだろう。


1975年、私が中学生の時、ポールは日本公演を行うはずだった。訪日直前になって法務省によりマッカートニー夫妻の薬物犯罪歴でビザが取り消され、公演は中止となる。


1980年、ポールは日本公演を行うはずだった。今度は成田空港にて大麻不法所持の容疑で現行犯逮捕され、ツアーは中止された。


それから10年間ポールは日本に来ることはなかった。


私は中学生の時にポールの日本公演が駄目になった時、ものすごく楽しみにしていると駄目になるんだとなぜか思った。だからものすごく楽しみなことでも、浮かれたりしないように注意しようと思った。


大麻所持で日本の刑務所でポールは刑務所で出されたミソスープを食べて不味かったという記事を読んだとき、私は自分の部屋の中で転がりながら叫んだ。「ポールにまずい味噌汁なんか飲ませんでよーーーー!!!」


私はそれ以来、味噌汁のことをミソスープと言ってしまう。今でも「え~と、今日のミソスープはお豆腐とわかめにしようかな」と言ってしまう。
あれからずっと今まで。


そしてミソスープと自分の口から発される時、その一瞬の中にポールがいる。
ウイングスのポールがいる。
そしていろんな思いが渦巻く。
そして夢のような幸せな今を生きている自分とポールを思う。


どうか今回の日本公演も元気で歌ってね。


オノ・ヨーコさんがすごいなって思う時

オノ・ヨーコさんがすごいなって思う時がある。


私はきわめて凡人であり、The 庶民であるから、ヨーコさんの芸術的なことは全く理解できないし、ヨーコさんの音楽もまともに聞けない。


ジョン・レノンが好きなのにヨーコさんの芸術性を理解できないなんてジョンファンとして失格である。


しかし、ヨーコさんがいるから、ヨーコさんが今でもメディアに顔を出してくれるから、それも体調が悪い時でもヨーコさんらしい服を着て、ジョン&ヨーコのヨーコとして出てくれるから、私たちはヨーコさんを見て、ジョンを感じることができる。


ヨーコさんはジョン・レノン亡き後、しっかりとジョン・レノン代役をやってくれている。


2016年9月16日、映画「ザ・ビートルズ~EIGHT DAYS A WEEK 」ロンドン・ワールド・プレミアにヨーコさんも出席していた。


ポール、リンゴ、ジョージの奥さんのオリヴィアさん、そしてヨーコさん。


この時、ヨーコさんは介添人に支えられながら歩き、インタビューに微笑みながら答えていたけれども、ちょっとおかしい部分もあって、体調が悪いことはすぐにわかった。


体調が悪くてもニューヨークからロンドンに飛び、映画のプレミアショーに参加することはどんなにかエネルギーのいることだろう。それでもヨーコさんは出席してくれる。


ヨーコさんがいるとこで、ジョンを感じて、ジョンがいるような気分になれる。


この時、ヨーコさんてすごいなって思った。


この写真、ビートルズの四人とヨーコさんが違和感なく一緒に写真に納まっている。


この服装から「The Ballad of John and Yoko」のシングル盤のジャケット写真のフォトセッションであるとこがわかる。


それにしても自然すぎる。

これは映画「Let It Be」のワンシーン。


「Let It Be」はビートルズのレコーディング風景をただ撮影していただけなので、普通の日常である。それに自然にヨーコさんはメンバーみたいにいる。


ヨーコさんも「私、邪魔でしょう。遠慮しておくわ。」と言わなかっただろうし、


ジョンも「邪魔だから、家にいて」とも言わなかっただろうし、


ポールもジョージもリンゴも「ヨーコ、邪魔だから出ていってくれない」って思っただろうけど、言ったかもしれないけど、仕方ないかってあきらめただろうと思う。


ヨーコさんはジョンにとって子どもの頃からの親友でいつも一緒だったピート・ショットンであり、美術学校での親友のスチュアート・サトクリフであり、ジョンの育ての親のミミおばさんでもあるように思える。


スチュアート・サトクリフがベースが弾けないのに親友をバンドのメンバーに入れてしまったのはいつも一緒にいれるからだろうし、ジョンはいつも一緒にそばにいてくれる人がずっと必要な人なんだと思う。



「Let It Be」の映画は観ていると、ビートルズが解散に向かっていることがあからさま
で心が痛くなる。


でも、ヨーコさんを受け入れていること、それだけでビートルズって仲がいいんだなぁって思うのだ。


そして、このヨーコさんの強さは私も含む凡人の日本人女性には持ち合わせていない素質である。


そしてこの素質こそがヨーコさんのバックグラウンドの成せる業というのか、超セレブの生い立ち、幼少期からアメリカと日本を行き来して日常がグローバルな生活をしてきた人の大きさみたいな気がする。


親、親戚、姉妹、身内がみんなすごい人で驚くばかりでこんな人はそうそういない。


1933年2月生まれ、85歳のヨーコさん。なんと先月ニューアルバム「Warzone」が発表された。