ジョン・レノンゆかりの地をめぐる軽井沢の旅

ジョン・レノンは1977年から1979年まで毎年夏に軽井沢に訪れていました。そんなジョン・レノンの足跡を追いながら軽井沢をまわってみたいと思っていました。遅ればせながら今年2016年5月に軽井沢に行くことができました。

ジョン・レノン写真集「家族生活」

私が持っているジョンの本の中で一番好きなのは、

やっぱり今回軽井沢に行くきっかけとなったこの

「家族生活」の写真集です。

この写真集に収められている写真は本来公開されることを目的としないで撮影されたものでした。


プライベートだから見せるリラックスした表情が素敵です。


ジョンが亡くなった後、ジョンの許可なしに、音源や写真や好き勝手に書かれた本なんかが発売されて、天国で怒っているかもしれません。


そんなジョンには申し訳ないと思うけど、私はこの写真集が大好きです。


この中から好きな写真を数点


カメラマンの西丸文也さんはジョンから「ニシ」と呼ばれていたそうです。

西丸さんは残念なことに2011年に亡くなられているようです。



この本は手に入りにくい状況みたいですが

John Lennon Family Album
John Lennon Family Album
Chronicle Books

洋書だと手に入りそうです。ペーパーバックなので紙質が良くないかもしれませんが。

ジョン・レノンが見た日本


ジョン・レノン関係書籍、たくさんありますが好きなものだけ紹介してみようかなと思います。



「ジョン・レノンが見た日本」

これは、ジョンが日本語を勉強したノートです。

ジョンですから絵も書いています。

その絵がかわいいのです。

くらべる

かめは うさぎに くらべて おそい です

うさぎは かめに くらべて はやい です


あげます

わたくしは かないに あげます

くれます

かないは わたくしに くれます

もらいます

わたくしは かないから もらいます


しってれば しっているほど はなしたがらない

しらなければ しらないほど はなしたがる


最後の方はこんな長くて難しい日本語も・・・


190ページにわたり、ジョンの絵と日本語がつづられています。

ジョン・レノンが見た日本
ジョン・レノンが見た日本
小学館


1977年から79年まで3年間で合わせて9か月も日本に滞在したジョンなので、きっと少しは日本語を話していたと思います。


ビートルズ・シネ・クラブの「ビートルズ復活祭」で聞いたことがあるジョンが話す日本語です。

John Lennon Speaks Japanese / ジョンレノンが話す日本語

離山房について調べたこと


帰ってきてから、離山房についていろいろ調べています。


元オーナー(槙野あさ子さん)さんのご主人が朝日新聞のカメラマンで、

ご主人の後輩がニューヨーク支局にいた時にヨーコさんに

先輩が軽井沢にお店を出したので寄ってください。と言ったことがあり、

それを覚えていたヨーコさんがお店に来られたとのこと。


youtubeで槙野あさ子さんのインタビューを聞きました。


ジョンはいつも東屋にいてお店に入ってくるときはお手洗いを借りる時だけで、その時にアルバイトの男の子たちがいたずらしてビートルズを流していたと。

「よしなさい」と言ってもやめなくて、

ジョンはビートルズのBGMに気がつくと、「いやだなぁ」みたいな、はにかむ様な顔をしていてそれが見たいと、3,4回はビートルズを流したことを話されていて興味深かったです。


確かに私も気持ちわかるなぁ~

ビートルズ流して、その時のジョンの顔見てみたい気がする。


お客さんに写真とサインを禁止していたので、写真は撮らなかったらしいのですが

1979年にやっと撮らせてもらったとのことで店内に飾られているのは1979年のジョンなんですね。

もちろん、元朝日新聞カメラマンのご主人が撮影。


それから、元オーナーさんとご主人で花の本を数冊出されていることも知りました。

私もアマゾンでこの本を注文しました。

今、楽しみに待っています。

草花大好きなので楽しみです。


それから、ショーン君の背を測った木はカラマツの木であること。

台風で倒れた木はあったがこの木は残ったこと。

カラマツは樹高20-40 mになる落葉針葉樹。


元々は夏の間だけ営業していたらしいのですがファンの方がよく来られるので春から秋まで営業するようになったこと。

東屋を残してくださって、ジョンの写真と同じ椅子を三脚並べてくださっているのもファンのためだろうし。


そして、ビートルズグッズもビートルズBGMもファンのためなんですね。

また、行きたいです。