ジョン・レノンゆかりの地をめぐる軽井沢の旅

ジョン・レノンは1977年から1979年まで毎年夏に軽井沢に訪れていました。そんなジョン・レノンの足跡を追いながら軽井沢をまわってみたいと思っていました。遅ればせながら今年2016年5月に軽井沢に行くことができました。

4日目(2016.5.21.)皇居

いよいよ軽井沢とお別れの日がやってきました。


軽井沢駅に隣接している「軽井沢・プリンス・ショッピングプラザ」でおみやげを買って、東京駅に向かいました。


今日の予定は皇居で1966年ビートルズが来日した際にポールがホテルを抜け出して行った皇居でポールが見た風景を見て同じ写真を撮ること


そしてビートルズがコンサートを行った武道館を見ること



東京駅に着いて皇居まで歩いたのですが、暑くて暑くて、
娘は「死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ・・・暑い暑い暑い暑い・・・・」を連発。


「今日は東京30度あるよね~。すごい暑いね~」と私。(実際はこの日の東京の最高気温は26.5度)


この時に軽井沢が避暑地であることを初めて認識したのです。



ポールの写真を見ながら、まずは坂下門まで歩きました。


遠いけど、これ以上近づけない雰囲気でした。
東京駅から皇居周辺にはG7伊勢志摩サミットを一週間後に控え、警官がたくさんいて物々しい雰囲気でした。


正門前まで歩きました。



外国人団体観光客が次々に通るので、なかなか写真撮れなくて私が数枚適当に撮った写真を娘はFacebookにこんな粋な感じで載せていました。



「ポール、はよおいで。先行くよー。」


「はいはい今行くよー。」



さすが娘は上手いなぁ~。
そうです、娘はポール大好きな子です。



そしてこの写真の場所

場所はわかったんですが同じようには撮れなくて

でも、このポールが行った皇居の場所にずっーと行ってみたかったから嬉しかったです!


そして、武道館へと行きたかったんですがーーーーーー


私たちは何しろ避暑地帰りなもので、暑さに負け、力尽きて、
タクシーを拾う元気もなくて、
志半ばにして、無念ながら東京駅を去って羽田空港に向かいました。

3日目(2016.5.20.)鬼押出し園

鬼押出し園


3日目は「鬼押出し園」もうこれだけを目標にしました。


「白糸の滝」と「軽井沢タリアセン(塩沢湖)」はもういいかな~と。


鬼押出し園へは西武高原バスで行くことにしましたが一日5本くらいしかなくて。


もし行かれるなら、レンタカーをおすすめします。

そう、万平ホテルの小澤さんも言ってた。

レンタカーでまわったら全部さぁ~ってまわれるよ。


中軽井沢駅発8:55。

これに乗り遅れたら大変。


朝食が8時からだったので、10分前にダイニングルームの席に着いたら早めに用意してくれるかも。

という焦らせる作戦を決行。


無事、朝食も8時半前に済ませて、中軽井沢駅から西部高原バスに乗り、「鬼押出し園」に向かいました。


途中から鬼押ハイウェイを通りました。九州でいうと九重のやまなみハイウエイみたいな(阿蘇五岳、九重連峰が一望できる道)感じでした。


鬼押し出し園とは

1783年(天明3年)におきた浅間山の噴火の際に流れ出た溶岩で、膨大な量の溶岩が風化した結果形成された奇勝を巡回できる場所。


福岡県で例えるなら北九州の平尾台の岩だけをギュッと固めた感じ(かなり無理がある)


私の勝手な予想では閑散とした観光地と思っていたのですが、着いてみると観光バスが5台ほどいて、なんだか賑やかな様子。



黄色い帽子の小学生が走り回っているし、サングラスをしたカラフルな服の中国系外国人団体観光客もいるし、高校生の団体もいるし・・・


ジョンが突いている鐘にまず行かなくちゃ、


「みんなが鐘つき始めたら大変だよ~!」


と娘が小学生や外国人観光客を抜いて、急いで鐘に直行する。


無事一番に鐘に到着!

ジョンの写真の鐘を見て嬉しくなる余裕もなく、とにかく写真を撮った。



私たちの後、みんながガンガン鐘を突き始めた。

良かった~急いで突いて。

ふぅ~。


さぁ、そして、この写真、灯籠の横に立っている写真。

「灯籠いっぱいあるんだね~。どれかわからないからどれでもいいや。

私、これにする!」

と適当に灯籠の横に立つと、娘が


「時間いっぱいあるんだよ。3時間もあるんだから探そうよ。」


確かに。


それから私たちの気が遠くなるような灯籠探しが始まったのでした。


黄色い帽子の3,4年生くらいの小学生は首から園内の地図を下げて5人のグループで何やらウォークラリーをしている様子。


「そっちじゃないよー」「ねぇ、こっちだってー」と言いながら走る回っている。


小学生が初級ウォークラリーなら私たちの「ジョン・レノン灯籠探し」は上級編。


私が学校の先生だったら、全校生徒を使って
「今年の鬼押出し園ウォークラリーはジョン・レノンの灯籠を探しまーす!
みんな頑張ってくださーい!」


って小学生を利用するんだけどな。


まぁ、そんなことを考えていたら、だんだん娘は俄然本気モードになってきている。


古畑任三郎と化した娘と、まぁ私は西村雅彦というところでしょうか?


私「ここじゃない?ここだとバックに岩ないし・・」


娘「違うよ。この写真だと、ちょっと坂になっていて灯籠より下に立っているんだよ。」


私「・・・もういいよ。これで。」


娘「だめ!」


娘「あっちも行ってみようよ。」


私「はぁ~」


その日は快晴で、日陰ひとつない園内は暑い。


娘「ちょっと休憩」


と所々にあった浅間山突然の噴火のために設置されている避難場所で休む。


今見ると怖いけど、その時は必死だったので、日陰で休むためにはちょうど良かった。


娘が私たちの他にジョンの灯籠探した人っているのかなぁ~
とスマホで調べ始める。


「まぁ~いたんじゃない・・」といいかげんな私。


のど乾いたよー。自販機でお茶買おうよ。とは言えない本気モードの娘。


娘がスマホの画面を見ながら
「あっ、いたよ。ほらこの人、この灯籠を探し出すのに、みんなを駆けずり廻させてしまいました。って書いてる。」


はぁ、やっぱりいたんだね~。


娘「あっ、この写真、私たちが見つけたあれじゃない?」


私「やっぱり、これだったんだね~」


良かった。良かった。お茶飲めるね。


そして、その場所に行き、私が灯籠の前に立ち、カメラを構える娘。


娘「う~ん、違うんだよね~。これだと同じにならないんだよね~。
この写真を撮るためにはこの道がないところから撮らなきゃ駄目なんだよね~
道、滑落したのかな~」


なんか怖い推測。


私「そうかもね~35年経ったらそんなこともあるかもね~」といいかげんな返事。


娘はしばらくああでもない。こうでもない。とカメラを構えてあっちこっち移動している。そんな様子を不思議そうに見ながら通り過ぎる観光客のみなさん方。


娘「道、滑落したんだね!よし、ここで撮ろう!」


結論が結構怖い。


そして撮った写真がこれ。



つまらない話を長々と書いてしまいました。


それからこの双眼鏡を覗かせようとしている写真の場所を探しました。

上に鬼押出し園の文字が見えるのでこのあたりではないかと。色が黒になっていますが、塗り替えたと考えられるので。





この後、予定していた13:11のバスに乗り、「星野温泉トンボの湯」で途中下車し、星野エリアを散策し、ハルニレテラスのカフェに入ったり、もちろん温泉も入って、普通に軽井沢を楽しみました。

2日目(2016.5.19)碓氷峠見晴台、離山房

見晴台


万平ホテルをチェックアウトしてから、万平ホテル前から出ている見晴台行のかわいいバスに乗って見晴台に向かいました。

バスは旧中山道を通って少しずつ上り坂を走っていきました。

見晴台までの道は林の中を通っていくのですが別荘地でもあり白樺の木もありおしゃれな雰囲気でした。


中山道最大の難所として知られていた碓氷峠は標高1200m。


娘に「英彦山の山道と全然違うね。おしゃれだよね~」とつい言ってしまう。

(英彦山は福岡県のほぼ最高峰に位置し古くからの修験道の霊地で、全盛期には多くの山伏が修行に明け暮れたという山です。標高はこの見晴台と同じ1200m。英彦山はおしゃれじゃないけど私の大好きな山です。)


見晴台は碓氷峠の頂上の近く、長野県と群馬県の県境になります。南アルプス、八ヶ岳、浅間山を一望できるらしいです。


バスを降り、見晴台に向かいます。途中、ジョンが洋子さんのお母さんと一緒に写真に納まっている門を通ります。


石畳の道を歩いていくと、展望のいい見晴台が見えてきます。


ジョンが手を腰に山をバックに撮っている写真やベンチで横たわっている写真の場所です。


私たちの他は3人くらいいて、みなさんは長野県⇔群馬県の表記前で写真を撮っていましたが・・・


私はもちろんここで・・・





写真を撮って、さぁ、見晴亭でお蕎麦食べよー


見晴亭

お店に入り、席に着くとすぐに

ジョンのお蕎麦やさん写真に写っていた調味料入れが目に入り、もうそれだけで嬉しくなる。



見晴亭にはお客さん誰もいなくて、蕎麦を注文してからお店の中を歩き回り、ジョンの足跡を・・・


あった! 写真とサイン。さりげない飾り方がいい。

それから一つだけ古いテーブルと椅子に目がいく。

ジョン・レノンが座った席を残してあるんだ。テーブルにはそんなことは何も書いてないけど、確かにジョンの写真に写っているものと同じだ。



お蕎麦を食べて、支払いをした後、言ってみました。

「ジョン・レノンゆかりの地めぐりをするために福岡から来ました。あのテーブルはジョン・レノンが座ったものなんですか?


「そうですよ。そこに座って写真撮りましょうか?」と言われ


「あっ、お願いします!」


椅子に座っていると


「ちょっとまってね。」

「写真がこれで・・・」


奥から何か持ってこられる。

「これ、灰皿にしていた・・釜飯の器なんだけどね。」


(この釜飯の器とはこのあたりの定番駅弁らしく、軽井沢駅に売っていた「峠の釜めし」の器でお弁当なのに焼き物の器で食べた後も何か利用できるもの。軽井沢駅を出る時に娘が購入し器だけもらって、私のおみやげにしました。)


「それから、これね。」と調味料入れを持ってこられる。


そして写真を撮ってもらいました。





時々、私たちみたいなジョン好きな方が来られて、みなさんここで写真を撮られて行かれるとのことでした。


お店の方の写真を撮りましょうか?とおっしゃった後、パタパタと動かれて、

写真のためにいろいろ道具まで用意してくださったご厚意に、

優しい笑顔に、

感謝いたします。


ありがとうございました!


お店の方と一緒に写真撮ればよかったなぁ~


ここはジョンゆかりの地として有名じゃなくて知らなかったので、万平ホテルの小澤さんのおかげで知ることができて本当に良かったです。


熊野皇大神社


見晴亭からすぐ近くにあって、ここにもジョンは来ています。

バスの時間までゆっくり見てまわりました。


そして発見!

石を積んでいるジョンの写真の場所を見つけました。


「ここじゃない?この写真の場所!」


ジョンみたいに写真を娘に撮ってもらって、見晴台を後にしました。



またかわいいバスに乗り、万平ホテルのフロントで荷物を受け取り、タクシーを呼んでもらい軽井沢駅に向かいました。


タクシー料金800円だったのを覚えていたので800円を用意していたのですが、なんだか料金が変わる速度が速すぎて800円を超えて900円1000円と上がっていく。


万平ホテルから乗ると高くなる法則があるんだね~と思っていたら、タクシー降りてすぐ娘が


「ソファーがふかふかだったね。」


えっ?そうだったの?

どうやらセレブタクシー(そんなのあるのかな~?)に乗ってしまったようでした。1150円でした。


万平ホテルのフロントでタクシーを呼び、ふかふかソファーのセレブタクシーに乗ることも万平ホテルの醍醐味の一つとしましょう。


離山房


2日目の宿泊先、中軽井沢駅近くのペンション「ル・モンヴェール」に3時ごろチェックインした後、離山房までお散歩することにしました。


離山房までは、このペンションから歩いて20分、夕食は6時半だったので時間は十分にあります。


このペンションは中軽井沢駅の南側にあり、まわりの雰囲気は普通の田舎の風景の中におしゃれなかわいいペンションやカフェがあるような感じでした。


ペンションを出るとすぐに森に通じる遊歩道があり、そこには、リスやキツネ、キジなどがいるとのことでした。(翌日の朝、お散歩した時に高い木の枝をふかふか尻尾のリスがシュルシュルと動いている様子を見ることができました。)


新幹線高架橋を過ぎてしばらく行くと、万平ホテル周辺の別荘とは違った雰囲気の別荘地区に入って行きました。


そして大きな道に出て、しばらくすると離山房が見えてきました。

この道路はこの写真あたりではないかなぁ~と思いました。


離山房に入ると、まずビートルズグッズ、マグカップやコースターなどが売られているコーナーに目がいきました。


店内にはビートルズが流れていました。


店内奥の壁には、ジョンとヨーコさんとショーン君の離山房の写真を大きくポスター状にした写真が飾られ、ジョンが忘れていったタバコとライターと同じ物が飾られていたり、ジョンが飲んだコーヒーカップが飾られていたり、ヨーコさんと元オーナーさんと一緒の写真、ヨーコさんからのお手紙などが飾られていました。





お客さんも多く、数人帰られるとまた数人来られるという具合でした。

でも、ジョンが好きで来ているのは私たちだけで、他の方は普通にお茶をしに来られているようでした。


ジョンが好きだったという「ブルーベリージュース」を注文して、店内の写真を撮ってもいいですか?と許可をもらい、写真を撮りました。



店内に流れていたビートルズが私にはなぜか耳障りに聞こえてしまいました。

店内に販売されているビートルズグッズも何か場違いな気がしてなりませんでした。


ジョンは1970年代後半の音楽活動を休止していた時期に洋子さんのまぁ里帰りについて来て、たぶん小野家では夏の間軽井沢で休日を楽しむのが恒例となっており、そんな小野家の親族の一人としてジョンは軽井沢にいたと私は思うので、ここでビートルズはおかしいのではないかと。


ジョンが離山房で心からリラックスして楽しんでいたのは元ビートルズのジョン・レノンとしてではなく普通に迎えていただいたからだと。
ジョンの離山房に対する思いを壊しているんじゃないかと。


今、もしもジョンが離山房に来てビートルズグッズとビートルズBGMにどう思うだろうか?


75歳になったジョンは物腰の柔らかい人になって、店内のビートルズを受け入れるんだろうか。


私はお店にいる間中、ビートルズを聞きながらこんなことを考えて、自分のこんな融通のきかない偏った考え方に嫌悪してしまっていました。


支払いを済ますと、お店の方が

「庭でも写真を撮ってくださいね。」


と言ってくださいました。


もちろん、楽しみにしていた場所でした。


でも写真を見ると私の表情は硬く・・・



ショーン君の背丈をジョンがこの木にしるしを付けて、毎年計ろうと思っていたかもしれないそんな木は見上げてもその先がわからないくらいに高く伸びていました。



楽しみにしていた場所だけに、複雑な思いでお店を後にしました。


日が傾きかけた軽井沢は空気が冷たく、ジャケットを着るのを忘れてしまった私はペンションまでの道を歩きながら体も心も冷たくなっていくのを感じていました。


写真で見ていた離山房の元オーナーさんの優しい表情から、いつかテレビで見た穏やかなお話しぶりから、ジョンはきっとここで癒されていたんだと思っていただけに、

私のビートルズショックは嫌なくらいに大きくて自己嫌悪に陥りまくっていました。

店内にあった洋子さんのお手紙





ペンションに帰って、ペンションのかわいいインテリアに囲まれ、優しいゆったりとしたムーディなJAZZを聴きながら、新鮮で色鮮やかな軽井沢高原野菜のパリッパリッとしたサラダに甘い玉ねぎとベーコンのスープ、ミルフィーユ・ステーキの美味しい夕食をいただきながら、離山房ビートルズショックはだんだん癒されていきました。